「役に立つ」と「意味がある」
どーも!りょーやです!
今回は、「役に立つ」と「意味がある」の違いについて僕の経験からの気づきをお伝えします。
僕は、今から7年前、
父親に「生まれるはずじゃなかった」と存在否定をされてから、自分が居る価値を問うようになりました。
はじめは、勉強に没頭しました。
母や友達の役に立とう、と思ったのです。
自分など、そもそも生まれてくるはずじゃなかったんだ。
良い子でいなければ、僕の能力を必要とする人がいなければ生きる意味なんてないんだと思い込んでいました。
ところが、勉強ができる子などいくらでもいて、頑張っても絶対に勝てない子がいて、余計に苦しくなるだけでした。
自分がいなくても社会が回るなんてことは遅かれ早かれ誰もが気づくことです。
役に立てるか、のモノサシで見ればほとんどの人には、生きる意味などない、ということになってしまいます。
ほんとうに大事なのは、自分の中に原則を持って、そのモノサシで生きるということで、それが、意味というものです。
自分のモノサシを見つけるには、自分を知る必要があります。
自分の持つ価値観、情熱、願望に気づき、自分がフィットする環境を見つけることが、自分のモノサシで生きるということだと思います。
自分のモノサシを持つとブレなくなるので、余裕が生まれます。優しさも生まれるでしょう。
同時に、ブレないということは、ファンも生まれます。
ファンにとっては、あなたは意味であり、意味であるなら「役に立」っているとも言えるでしょう。
「役に立つ」から考えることで苦しくならないために、
自分にとって「意味がある」という視点で見てみるってどうでしょうか?
今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。
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今回の質問
あなたの「情熱」はなんですか?
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